美味しかった思いを翌日までひっぱるのが焼肉の楽しさですね。
12月にふさわしいゲストの登場です。
パラダイス山元さん(42歳)は、グリーンランド国際サンタクロース協会から認定を受けた、アジアでただ一人の“ホンモノ”公認サンタクロースなのです。
マンボミュージシャンにして、ニュータイプ盆栽「マン盆栽」家元であり、カー・デザイン評論でも活躍中。
多才で多忙な山元さんに、サンタクロースとしての抱負や、「マン盆栽」の楽しみ方、そしてお気に入りの焼肉スタイルを聞きました。
焼肉で始まったサンタクロース・ライフ
―公認サンタクロースに志願するには、いくつか条件があるそうですね。
山元 「他国のサンタとコミュニケーションがとれるか」「サンタクロースとしての活動実績」など、いろいろありますが、一番大事なのは「既婚者で子どもがいる」こと。日頃、子どもにどう接しているかということも問われるんですよ。
私は「サンタクロースにふさわしい体格」という条件にかなっているのを見込まれまして(笑)。
ある方に「焼肉食べに行きましょう」と誘われて、ついて行ったらスカンジナビア政府観光局職員の女性が待ってらして「どうぞ召し上がってください」と。
これが何の用か言ってくれない人たちなんですよ!さんざんご馳走になった後に「じつは、再来週からヨーロッパへお出かけいただきたいんです」って言われたら、断りづらいですよね(笑)。
そのヨーロッパ行きの中味が、デンマークで開かれる「世界サンタクロース会議」でサンタクロースになる認定試験を受けるってことだったんです!
――認定試験は厳しいんですか。
山元 まず長老サンタクロースによる面接。「日本の子どもたちのサンタクロース観は?」とか「テレビゲームの普及率は?」なんてことをバシバシ聞かれます。
そして英語でスピーチ。「少子化問題」や「年々高額になるクリスマスプレゼント」などをテーマに話をしました。
それから体力測定。プレゼントの入った袋をかついで煙突を登って家に入り、プレゼントを置いて、また煙突を登って外に出て、ゴールまでダッシュ!
辛くも規定タイム内でゴールしましたが、息切れがおさまりませんでした(笑)。
――公認サンタクロースの役割はどんなものなのですか。
山元 毎年、この時季には病院や福祉施設から「クリスマス会に来てくれませんか」という連絡をたくさんいただきます。
今日もこの後、福祉施設に行くんですけどね、必ず「こんなのニセモノだよ」って言う子どももいるんですよっ(笑)。
子どもが「おまえ、まだサンタを信じてるの?」なんて言ったり、「靴下吊るしときゃ何でもくれる」と思ってるのは日本だけですよ。
サンタが両親だったと気づいた子どもが「ボクをだましてたんだな!」なんて言うしね。さんざんプレゼントをもらっといて何を言ってるんだ!(笑)
ヨーロッパの子どもたちは、お部屋を片づけて、クッキーと温かい飲み物を、お母さんといっしょに作ってサンタさんを迎えるんです。
そういう習慣を通して、お行儀や、お手伝いや、思いやりを覚えるんですね。
そして、サンタさんが両親だったと気づいたら「親になったら、自分が気づいた歳より大きくなるまで信じてもらえるように、上手くやろう」と思う。
日本のサンタとして、まず、そういうことから伝えられたらと思います。 そして「早く結婚して親になって、サンタやりたいぜ!」という子が出てくればうれしいし、二代目、三代目サンタが活躍するころには、どこの家でも、サンタさんのためにお汁粉を用意するとか、お礼の手紙を枕元に置いておくようになっていたらいいなと思います。
カー・デザイナーから
ミュージシャンに
――本業はマンボミュージシャンですね。ラテン音楽に目覚めたのはいつ頃ですか。
山元 中学生の時にはすでにバンドを結成してました。ブラスバンド部で一番上手いやつらを無理やり連れてきて。 それで音楽の先生に睨まれまして、音楽の成績が5・5ときて、いきなり2になりました(笑)。
社会人になってからも、週末にクラブで演奏したりしてましたけど、あくまでも趣味で、音楽で食べられるなんて思ってもみませんでした。
でも、レコード会社の人がやってきて「うちのレーベルと契約したい」なんて言われたら「会社づとめなんかしてる場合じゃないな!」って(笑)。
――富士重工のカー・デザイナーだったんですよね?
山元 たった5年間でしたけど、仕事はいろいろやらせてもらいました。
入社した当時の富士重工は「レオーネ」というクルマが売れなくて、日産に吸収合併されるって噂もあった頃でした。
私が最初にやった仕事、初代の「レガシィ・ツーリングワゴン」がヒットするまでは泣かず飛ばずの会社でした。
――入社間もないのに大きなプロジェクトに参加したんですね。
山元 人数が少ないから(笑)。トヨタが一台のクルマをつくるのにデザイナーだけで20人、30人いるのに、初代「レガシィ」は5人ですもん、そりゃもう何でもやらされました。
つい最近まで「LEGACY」ってロゴまで、私が作った字のままだったんですから。10年以上も使ってたんだから少しよこせよって(笑)。
マン(人間)と盆栽が
共演する「マン盆栽」
――「マン盆栽」愛好家が増えていますね。
山元 近所の排水溝にビロードのような苔がついていたのを持ち帰って、鉢で育ててみたのが始まりなんです。
私は北海道生まれなんで、鉢の上の苔が大地に見えてきた。そこへフィギュア(ミニチュアの人形)を置いてみたら「お!これはイイじゃん」と。
――トラディショナルな盆栽愛好家からの反響はいかがですか。
山元 すごく悪いです(笑)。「盆栽の上に人形をのっけるだとぉ?とんでもないことだっ!」と言われてます。
私だって、伝統盆栽の美意識や技術はすごいと思ってるんですよ。でも、やたら流儀や決まりごとがあったり、これから始めようとしてる人に「そんなんじゃダメだ」って、口どころか手まで出してくるような親父が好きじゃないんです。
今、かつての浮世絵のように、樹齢何百年という盆栽の名鉢がバンバン、海外に流出しちゃってるんです。でも、海外に持っていかれても気候が違うから枯れるものが多いんですよ。悲しいですね。
こういう現状は、伝統盆栽の人たちが初心者を受け入れてこなかったツケが、まわってきているんだと思います。
――「マン盆栽」は、いつでも誰でも始められそうですね。
山元 苔は高速道路の防音壁の陰なんかにいいのが生えてるし、鉢も木も高価なものは要りません。私は何千鉢も作ってますけど、お金はかけてないんです。
ただ、フィギュアが一体何千円もするのがあって、それで一度、離婚されそうになったことがあります(笑)。
本来、あのフィギュアは鉄道模型のまわりに置いて楽しむもので、ドイツのプライザーという会社が作ってるんです。
その会社、最近すごく「マン盆栽」のことを意識し始めてて、明らかに「マン盆栽」をねらった新作ばっかり出すんです。力士が四股ふんでるのとか(笑)。
食玩(お菓子のオマケ)も、マン盆栽に使えるか使えないかで、当たり外れが決まっちゃうらしいんですよ。
――すごい波及効果ですね。
山元 広告代理店の人が「権利関係をきちんとして、いけ花の家元制度のようにすれば◯億円市場です!」って言うんです。
でも、参議院議員になりたいとも246沿いに、「マン盆栽会館」を建てたいとも、思わないですからねえ(笑)。
まじめにやっちゃったらつまらないじゃないですか。シャレがわかる人たちに楽しんでもらいたいんです。
タン塩は「七回裏」の変化球
――焼肉はお好きですか?
山元 大好きですよ。無煙ロースターを事務所に入れようとしたくらい。見積書の値段を見てあきらめましたけど(笑)。
それにやっぱり、焼肉は外へ食べに行くもんだと思うんです。家でやったら後片付けが大変だし、家の中に匂いがついちゃうし、だからプロにお任せしてと。
――お好きな食べ方はありますか。
山元 最初からこってりしたタレで、カルビ、ハラミにいきますね。「タン塩・レモンだれ」は、野球で言えば7回裏あたりに食べて、口の中をサッパリさせて、また最終回までこってりと(笑)。
私、思うんですけど、焼肉のにおいを気にし過ぎるのはつまらないですよ。
「焼肉、食べたでしょ〜?」と言われるくらいじゃないと焼肉を楽しんだことにはならないと思います。
美味しかった思いを家まで持ち帰って、翌日までひっぱるのが焼肉の楽しさですよ。だから私、お会計の後にくれるガムは、すぐ噛まないで、翌朝までとっておくんです。ガムは翌朝!ぜひぜひ。
――はい、そうします。楽しいお話をありがとうございました。
パラダイス山元さん
ぱらだいす・やまもと
1962年札幌市生まれ。日本大学芸術学部美術学科卒業後、自動車メーカーのデザイナーを経て、アルバム「マンボ天国」でメジャーデビュー。98年グリーンランド国際サンタクロース協会公認サンタクロースに。ユニークで斬新な盆栽「マン盆栽」の創始者として01年日本ホビー大賞アイデア部門賞受賞。
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